金曜日

金曜日って面白い。いや、まず曜日って面白い。区切られてる。天文学を調べていくうちに、曜日の誕生にも辿り着いたことがある。そんなことはどうでよくて、金曜日のこと。
まず、金曜日だけ職場の空気がまるで違う。確かに学生のときも、金曜日だからといって浮かれていたり、気が抜けていたり、そんなムードはあったけど、僕の会社の金曜日は、少なくとも、他の曜日とは、はっきりと違っている。
一週間分の疲労と、次の日がおやすみだという喜び、これが異常にまろやかに混ざっている。いつもは、少し不出来な人に、口うるさくしているおつぼねさんも、金曜日はいつも静か。いつも僕に向けてくれる最高の笑顔には、しんどさが見えるし、いつもは休憩しないのに、何度も、首の骨を鳴らして伸びをするし、いつもは機械の調子が悪くなるとイライラして叩くのに、歌を歌い出す。「こうして気を紛らわさないとね〜」いつもは口を開けば文句しか言わないくせに。すごくおかしくて、『いつも』が、いつもではなくて、なんなんだ、ただの愛しいオバチャンじゃないか。一緒に笑った。声を出して、腹を抱えて、笑った。なんの歌か、僕にはさっぱり分からなかったけど、ビブラートの効いた良い声だった。金曜日を生きる僕に、やさしく入ってきた。その、いつもがなくなる金曜日は、常にドラマチックに映る。僕のすぐ左側と右側で、女社会の闘いが繰り広げられていても、金曜日となれば、なんだか可愛く思えてくる。仕事なのに、仕事じゃなくなる。僕は常に中立で、どちらも援護するけど、とてもおかしい。仕事中だぞ。オバチャン。あいつにアタックするためにこうしよう、とか。おかしい。
みんなが疲れていて、ボケていて、お腹が空いている金曜日なのに、手元は機械みたいに素早くて、僕は未だに、息をすることを忘れる。なのに、みんながおかしい。そんな金曜日。
やっぱり人には、良いところも悪いところも、あったかいところも冷たいところも、きちんとあって、それが表向きか裏向きか、外交的か内向的か、ただそれだけのことであって、みんな凄い。
関わる、ということ。すこしやりすぎて、また、日本語が嫌いになって、音になった言葉を、聞きたくなくなったけど、今の僕は、前より、人が好きかもしれない。
今の部署では、自分を偽っている。いい意味で。僕は、自分が一人だとつまらない。し、暗い。だから、色んな僕がいてくれて、むしろありがたい。楽しいし、可愛がれるし、可愛がってもらえる。良い顔をするとか、そういうことでは決してなく。ただただ、色んな僕が、必要なだけ。
おやすみ金曜日、しあわせだった